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悟りを開く三つの方法
数息(観)
話頭
中道実相観

数息(観)の目的は、妄想を退治し心を静めることです。

参話頭は、自己の「轉識成智」(諸識を転じて智慧となす)であり、自分の心に照らし、自力で迴光返照(まるで死の直前の束の間の元気な様子)を中道実相観  実相は、外の面ではありません。実相は我々の心が無念、無住、無為の境界に到った。

禅宗における瞑想は、中国語で”Chan(禅)”という語で知られています。西暦700年ごろ隆盛となり、以来、瞑想は仏教を学ぶ最も有力な修行の一つとなり、韓国、日本、ベトナムそして今や多くの西欧諸国に広がっています。坐禅は心を落ち着かせ、ストレス、不安、抑圧を和らげ、平穏と寛容そして活気を生活にもたらします。心を空にして、内省することにより我々は我々自身の仏性に気が付き、我々の生来の知恵と喜びを掘り起こすことができるのです。

帰依三寶の解説(上)

「三宝は、苦海における舟である」

「三宝は、火宅における雨露である」

「三宝は暗夜の灯台である」

三宝に帰依することは、一般的に三帰依と言われています。仏教でいう三宝とは、仏宝・法宝・僧宝を指します。昔ある高僧が言っています。「三宝は、苦海における舟である。三宝は、火宅における雨露である。三宝は、闇夜における灯台である」と。この言葉は、三宝が私たちに無尽の恵みと慈しみを与えてくれるということを説明しています。

帰依三寶の解説(下)

「三宝は、苦海における舟である」

「三宝は、火宅における雨露である」

「三宝は暗夜の灯台である」

「小乘三宝」は釋迦牟尼佛の一丈六尺の金身の応身(人々を救済するため、救済する対象の宗教の能力に応じた姿をとってこの世に姿を現した佛)を佛宝とします。四諦と十二因緣を法宝とし、聲聞と緣覺聖賢僧を僧宝とします。佛陀の応身は一丈六尺の長さがあります。金色の光が現れ、三十二相、八十種好を持っています。これは三大阿僧祇劫という長い長い時間を経て、福、慧を修め、やっとこのような相好(三十二相、八十種好)を得られました。いわゆる「三祇修福慧,百劫修相好。」と言うことです(三祇、百劫ともに時間の長さを指す)

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